運命の変わった瞬間

前回の続きでこの時期の自分を振り返ってみて、

基本家の外の世界が幻聴やかんぐり(自分の思い込み)で、

お母さんがいないと病院にも行けませんでした。

30キロほど体重も太り人には会いたくありませんでした。

同じ病気を持った人たちと会ったりしながら、

ゆっくり回復していきましたが、

自分に自信があるとかないとか以前の問題です。

自分でも音楽は好きで変わりたい気持ちは少しはあったかもです。

今考えると自然に包まれる世界は統合失調症にはいいと思います。

鳥のさえずりの中ボーっと過ごす世界は急がせることもないし、

自分のままでいられると思います。

友達に誘われて行った音楽フェスでクラムボンを見た時に、

目いっぱい、精一杯、楽しそうに演奏している彼らをみて、

涙があふれてしまいました。

僕もああなりたい。彼らに近づきたい


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(その時の映像ではないですが、心に残った歌です)

その瞬間から運命が変わりました。

自分に自信はなかったですがアルバイトを始めるためにプールに行ったりしました。

アルバイトでは使えないとか色々言われましたがライブ見たくて頑張りました。

 

現在、人が自分に自信が持てなかったり人との関係にどう悩んでいるのかはわかりませんが、

よくわからない常識や、

誰の為にもならない期待に応えようとしているんじゃないかなと思います。

これが正解だったのかなとか、あの人にどう思われたいなど。

そもそもその正解って誰が決めたの?

そのあやふやな正解にすがるから不安になって自信が無くなると思います。

自信を持つって多分結構大変だし時間もかかるし、

すぐに手に入る物でもないと思います、

大事なのは自信のない自分でも、

自分だけは認めてあげて欲しいです。

「今は自信が無いけど、大丈夫乗り越えられるよ。」って

自分で自分に愛を注いであげて、

自分を励まして自分の失敗も許してあげて。

「次は大丈夫ぜったい私は私を見放さないから」

自分を見放さないっていう自信からつけていけばいいと思います。

恵まれない過去の傷は人に癒してもらうのではなく、

自分で自分を愛してあげてください。

そしてなりたい自分、憧れているアーティストのようになれるよう、

毎日、毎日ギター弾いたり、歌を練習したりして、

楽しいこと、自分のやりたい事に集中していたらいいと思います。

大事なことは、他人にどう思われたいではなく、

今自分はどうしたいか誤魔化さないことです

最初は不安があると思いますが、

大丈夫ですあなたならできます。

不安の反対が自信です。

コインの裏と表だと思ってください。

 

 

家族との距離感

障がい者になってお父さんもお母さんもビックリしてたみたいだけど、

僕にとっては理解されてたと思います。

薬は朝6錠、昼6錠、夜6錠、寝る前に2錠。

他の人がどのくらい飲んでいるのかわかりませんが、

今の自分と比べるとかなりの量を飲んでたと思います。

お父さんはいつもタバコを買ってきてくれました。

たまに牛丼やピザを買ってきてくれたり、

気を使ってくれていたと思います。

2年くらいは昼夜逆転の生活をしていたり、

薬で頭がボーっとしていて今思うと、

その時何やっていたかは思い出せません。

音楽をやっていた時の友達が半年に一度会ってくれて、

その人が好きなアーティストのミックスCDをくれました。

今思うとありがたかったのですが当時は聞く元気がありませんでした。

そしてその友達が気分転換に音楽フェスに行こうと誘ってくれました。

僕はお金がなかったのですが事情をお母さんに話したら、

お小遣いをくれて行く事が出来ました。

その代わりといってはなんですが、

家にいるときトイレ掃除が僕の担当になりました。

「トイレが汚い時はお前の心が汚れてるからだよ。」

と言われたり結構きついことを言うなぁと当時は思いました。

もちろん、最初のころはやってなかったりしてました。

そうすると結構怒られたりもしました。

正直怒られるのが面倒くさくて、

トイレ掃除を嫌々やっていたのを覚えています。

毎日やっていたわけではないですがやっていくうち、

汚れているのが気になって段々綺麗になりました。

そうすると母親の機嫌も段々よくなってきて、

プールに行くお金をくれたりしました。

そうすることによって今までご飯を食べるときに一緒にいるだけでしたが、

段々お母さんとの距離感も近くなり、

部屋にひきこもっていたのがリビングに行くようになりました。

リビングに行くようになると夕方洗濯物を片付けるようになりました。

手伝っていくうちにお母さんの機嫌もよくなってきて、

話しを聞いてくれるようになりました。

そして近くのスーパーに行ってお菓子を買ってきてと頼まれたり、

段々と仲良くなってきました。

まぁ何が言いたいかはよくわからないかもしれませんが、

今家で居場所が自分の部屋しかなかったり、

親が話を聞いてくれなかったり、

その人の家庭事情もあるので何とも言えません。

だけど自分が少しづつ変わるコトだったり、

親の手伝いなんかをすることによって、

自分の居場所の居心地がよくなりました。

これが僕の親のやり方っだたのかもしれませんが、

諦める前に何か出来ることがあるような気がします。

 

卒業までの道のりと挫折。。。

思っていた通りになかなかいかないけど、

その時は悔しくてしょうがなかったけど、

上手くいかなかったから今がある。

いろんな意味で世の中計算通りにいかないから面白い。と

最近になって気づいたわけで。

 

就労移行支援に入ってから最初の一年はお弁当を作ったり、

今までやっていた公園のトイレ掃除やら喫茶店のお手伝いなど、

だんだん環境にも慣れてきて週4回くらい通えるようになってきました。

徐々に室内作業などもやるようになり過ごすことが出来るようになりました。

そこで2年目に入ってからは卒業に向けて就職準備をすることにしました。

(就労移行支援事業所は2年から長くて3年しか在籍することは出来ません。)

そこではサービス管理の相談員さんと相談しながら、

まず初めに行ったのが履歴書づくりでした。

作業所にはパソコンが借りることができて、

パソコン経験がなかったのですが、

僕が通っていたところは週に1度外部からパソコンの先生が来てくれて、

分らないことがあったら聞きながらつくることになりました。

そしてパソコンで職務経歴書の書き方やアドバイスをもらいながら、

作ることが出来ました。

そのデータはUSBに保存して今でも使っています。

次に行ったのは簡単な面接での対応の仕方などをやりました。

面接に合ったスーツを着て作業所の職員さんを相手に、

色々な質問に備えて応答の仕方などを練習しました。

作業所ではたまに外部からの会社の方が来て、

「うちはこういう仕事をしますよ」と説明に来たり、

ハローワークの求人が張ってあったり色々な情報を手にすることが出来ました

と順調に面接までの準備は整ってきたのですが、

自分に合った仕事が見つからなくて困りました。

何故なら僕はまだ週5回働くことは出来ず、

一日を通しても6時間勤務することが出来ませんでした。

ハローワークで見つける仕事は週20時間勤務であったり、

今の僕では無理だな。と

そこで職員さんと相談して就労継続B型に行くことになりました。

就労移行とB型の違いについては次回以降に説明させていただきます。

だけど自分に合ったB型が市内になくて困っていました、

でもサービス管理の職員さんが探してくれたり、

就労支援センターに行っていろんなパンフレットを見て、

電車に乗っていけるところを探して、

3つくらいの作業所を見つけ職員さんに付き合ってもらい、

面談に行き体験作業をして、

どうにかこうにか行きたいところを見つけて良かったです。

生活保護の場合は違う市に電車で行く場合でも申請すれば、

交通費も出ることがあるのでケースワーカーさんと相談してみてください。

こうして就職することは出来なかったんですが、

無事に進路が決まり卒業できて良かったです。

追記

就労移行支援作業所では作業だけではなく、

みんなで花見に行ったり、

僕は行ってないのですが、

遠足があって車で秩父に行ってかき氷を食べたり、

ボーリング大会があったりいい思い出が出来ました。

 

 

就労移行支援作業所に入って変わったこと

就労移行支援作業所とは

僕が行った作業所の仕事内容は作業所内でおみやげやちょっと高めのお菓子の箱をおったりしていたり、

何に使うんだかよくわからないけど基盤を組み立てる作業をしました。

そこで集まる方たちは一般就労に向けて週五回働けるように体調を整えたり、

今まで家にいたけど体調がよくなってきて家から出る機会を増やしたい方、

特別養護学校を卒業して働くための習慣を学びに来ている方など、

10代から50代、60代の方たちが集まって同じ場所で作業をしていました。

僕の通っていたところは特に上下関係とかもなく

みんなが協力して作業をしていたと思います。

ここは2年間を目途に通所をして就労するための面接だったり履歴書の書き方なども教えていただけます。

作業は室内だけでなく公園のトイレの清掃、喫茶店、カレー屋さん、大きな会社の工場、チラシのポスティングなどの施設外作業もありました。

僕ははじめ慣れるまでは人と一緒に作業がするのが苦手だったので、

公園のトイレの清掃をよくやっていました。

 

困ったことにここで働くのにはお昼の準備をしなくてはならなくて、

生活保護の僕にはコンビニでお弁当を買う余裕はなかったので自分でお弁当を作っていく事にしました。(昼食を用意してくれる作業所もあるので色々探してみてください)

お弁当なんて今まで自分で作ったこともなくどうしようかと思いましたが、

何事も経験と思い最初はおにぎりとおかずから始まっていき、

最終的にはお弁当箱を買ってなかなか凝ったお弁当を作ることが出来るようになりました。

僕の成長のお弁当がこれです。

なんか、作ってくうちに段々力が入っていきなかなか美味しそうなお弁当が出来ました。

中身は簡単で作り置きの野菜炒め、チーカマ、冷凍の春巻きや唐揚げ、冷凍ブロッコリー、出来和えのポテトサラダ。

色合いを気にしながら実際はただ入れてただけなんですがね。

こうして自分で出来ることも増えていきました。

 

他にも生活で変わったことがありました。

工賃として1万円くらい稼げるようになりなんとガラケーからスマホへ変えることが出来ました。

そして工事代が帰ってくるというキャンペーンで家にもネットが装備され、

YOU TUBEが見れるようになったりアマゾンが使えるようになったりしました。

姉兄と連絡する手段でLINEを使うようにもなりました。

今まではお金をいかに使わないようにするかで節約することばっかり考えていましたが、

ようやく少しだけ人並みの物を持つことが出来るようになり嬉しかったです。

なんか、楽しいって思えることに出会えたらそれでいいんだと思います。

 

 

就労移行支援作業所へ登録

障がい者が作業できる喫茶店で約1年半くらい働いていました。

最初は週1日、1時間から始まり徐々に働く時間を2時間にしたり、週2回にしたり、

徐々にできることを増やしていきました。

最初はホールでオーダーを取ったり料理を運んだりしていました。

時間が長く働けるようになるとキッチンでスタッフの方たちと一緒に、

料理の下ごしらえをするのを手伝うことになりました。

最初は野菜を切ったりしていました。

段々慣れてくるとカレーを作らさせていただきました。

最初は玉ねぎとニンジンを炒めて、

そしてクミンやガラムマサラターメリックといったスパイスを混ぜて、

本格的なカレーを作る経験をしました。

そのうち慣れていくと忙しい時間にキッチンでのサラダを盛りつけたり、

ごはんをよそったり、飲み物を入れたり、

最終的には比較的時間に余裕があったときは、

オムライスを作ったり、ジャンバラヤを作ったりと

キッチンで手伝えることが増えてきました。

そうするにつれ最初は色々なことが不安でドキドキしたり、

ちょっと間違えて失敗をして謝ったりしましたが、

それでもスタッフの皆さんが大丈夫だよと励ましてくれたり、

少し怖かったスタッフの方もいましたが、

自分が出来ることが増えてくると、

ありがとうと言ってくれたり、

間違えて作ったコーヒーを飲んでもいいよと言ってくれたり嬉しかったです。


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ひきこもって一人でいる時間が多くなると、

時間の流れが同じなので、

なんで俺ばっかりこんな目に合うんだとか、

俺の人生終わったなとか、

普通の世界が怖くて人の目が気になって、

失敗が怖くて消極的になる。

そんなことばっかり考えてしまうし、

正解とかはあまりないんだけどの無限ループ。

 

僕なんかは職場でお金をいただいていた時は失敗したらすごく叱られていたけど、

作業所で失敗してもスタッフの皆さんがフォローしてくれたり、

話し相手になってくれたりしてくれました。

そこで知り合ったほかのメンバーさんとアニメの話をしたり、

工賃として働いた分のお金はもらうことが出来ました。

そして人との繋がりで同じ気持ちを共感してくれる人がいる。

今日も一日お疲れ様と言ってくれる人がいる。

誰かの役に立ちありがとうと言ってもらえる。

 

とまあ

こんな感じで週3回の3時間くらい働けるようになったので、

就労支援センターの方と相談してステップアップすることになりました。

次のステージは就労移行支援作業所です。

働くための二歩目にようやく進むことが出来て嬉しかったです。

脱ひきこもり 目指せ、アルバイト

僕は二年間ひきこもりをしていた時期を二回経験しました。

一度目は28歳の時、その時は友達に誘われて行った音楽フェスの朝霧ジャムでクラムボンのライブを見て、

またライブに行きたいからバイトしようと思ったのがきっかけでした。

しかし、二年以上もひきこもっていたので体重は30キロくらい太ってしまい

体を動かす事が辛かったので体力を回復&ダイエットからスタートしました。

その頃は浦和に住んでいたので市営体育館がありそこで始めたのがヨガと水泳です。

障がい者手帳があると利用料金が半額になり当時は300円位で利用できました。

  • ヨガ 呼吸を大事して自律神経にもいいし、自分の動かせる範囲でゆっくり動くのでけがの心配も少ないです。
  • 水泳 子供の時に習っていたので平泳ぎをしてました。あと泳げない方がいてもプールを歩くだけでも全身運動で結構良かったです。

何事もそうなんですがいきなり難しいことに挑戦してしまうと、

出来ないことが沢山あるのですぐに嫌になってしまうので、

まずは今の自分に出来ることを少しづつ増やしていった方が良いと思います。

この頃は20代だったので体力もあり半年くらい続けていたら、

4時間くらいバイトをする自信がつきました。

 

次のひきこもり時期は37,8歳の時。ひきこもりというかリハビリ期間です。

この頃は足は少しづつ動かす事が出来たんですが、

筋肉が落ちてしまい上手に歩けない時期でもありました。

思うように体を動かす事が出来なく悔しくて、

ストレスをため込んでいた時期でもあります。

この頃にしていたことは

  • 夕方の散歩 近くの川原沿いを30分位かけて毎日歩いていました。家にじっととじこもっていると嫌なコトばかり考えてしまいます。でも、歩くだけでも夕日が綺麗だったり散歩している犬が可愛かったり、一瞬でも嫌なことが忘れることができました。
  • 絵を描く 僕は今まで絵を描いたことはなかったんですが暖かい時期は近くの公園に行ったりして2時間くらいクレヨンで絵を描いていました。寒い時期はアニメのフィギュアをデッサンしていたりもしました。あまり上手ではなかったと思いますが集中して書くことでストレスが発散できました。

こうしたことが皆さんに合うかわかりませんが、

自分に合った何かがきっとあるはずだと思います。

急ぐ必要も何もないですし、こうしなきゃいけない訳でもありません。

もちろん何もやりたくない時期も僕にもありました。

その時はそれでいいと思います。

でも、師匠の言葉で「人生は長いんだから何も諦めなくてもいいんだよ。」

40歳くらいの時に言われた言葉です。

この頃の自分は「俺の人生はもう終わったな」と

いろんなことを投げやりになってました。

でも4月で47歳になりますが少しづつやりたいことが見つかってきました。

矛盾してるけど諦めるって悪いことじゃないなと。

あの時一度、諦めたから新しいスタートが見つかりました。





 

 

就労支援センターと師匠との出会い

一歩踏み出した世界は少し怖い事もあるけれど、

ドキドキを乗り越えた先に思いがけない事が起こる。

失敗は恥じゃないし、挑戦した勇気の勲章。

恐怖を乗り越えた自分を褒めてあげても良いと思います。

 

と言うわけで地域活動支援センターに通い出して1年が過ぎ足の調子もだいぶよくなりました。

職員さんに僕にでも仕事が出来るか相談したら、

就労支援センターがあるとのことで行ってみました。

僕の街の就労支援センターは仕事をするに当たって、

色々な作業所の情報やちょっとした履歴書の書き方などを教えてくれます。

そして会社へ面接などにも付き合ってくれたり、

会社への悩みを聞いてくれて会社との架け橋になってくれる場合もあります。

1人で就活が不安な方は1度足を運んでみてください。

そして僕は一般就労が難しいと言うことを伝えたら、

近くのアパートのリフォームのお手伝いの仕事を紹介してもらいました。

しかし体調を崩してしまいすぐにやめてしまいました。

人生こういうこともあります。

そして半年くらい体調を整えてもう一度チャレンジ。

次はNPO法人が運営してる障がい者が働ける喫茶店を紹介してもらいました。

そこで週に一回一時間から働かせて頂くことにしました。

そこのお店は僕のお母さんぐらいの方々が僕の出来る範囲の仕事を優しく教えてくれ、

あまり無理せず就労への一歩目を進む事が出来ました。

そして工賃として本当に微々たるものでしたが、

お金をもらうことができ嬉しかったです。

 

ここからが師匠との話なんですが、

そこの60歳を過ぎた店長さんがバンドのメンバーでライブなども頻繁にやっていて、

僕が昔ラップを歌っていたけど今はもう諦めて音楽をやめたと伝えたら、

ちょっと歌ってみて、人生はまだまだ長いからと諦めるのはまだ早いよ。

と言ってギターをくれ弾き方も仕事の合間に教えてくれました。

そして、僕の3回目の音楽活動がはじまるのです。

師匠は当時地元のライブハウスでちょくちょくライブをしていて、

よく誘っていただき生活保護でお金がなかった自分に、

1000円で本物のライブをみせてくれました。

 

人生は何が起こるかはわからない。

でも、何もしないと変わらない。

 

そしてこの日から7年が経った去年の9月、

僕が開催したチャリティーライブにゲストとして参加していただき、

2曲一緒に歌ってくれました。

少しは恩返し出来たんじゃないかな。

そんなお話しもしてみました。

 

これは一緒に歌った時の映像です。


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