あとがき 振り返りとこれから

10年間を振り返ってみて本当に長かったと思います。

幻聴と戦っていた時期から始まり本当によくやったと思います。

現在も統合失調で苦しい思いをしている方も多いと思います。

僕もそうでしたがどうしても自分を責めてしまったりしてしまいます。

過去のトラウマであったり辛い苦しい気持ちに押しつぶされてしまったり、

色々なことがありました。

だけど今、四角大輔さんや山納銀之助さんに直接会って感じた事があります。

今作り出されている悩みや苦しみは人間が作り出したもので、

地球とは全く関係ない事で僕たちを苦しめています。

僕たちは地球の生き物で空を見上げたり、

海でボーっとしてみたり、

小さい山でハイキングしてみたり、

川原で散歩したり、

大きな公園でおにぎりを食べたりして、

自然の中でため息をつくだけでも、

少し優しい気持ちに変わることが出来ます。

地球は優しく受け止めてくれます。

効率的に動けなくても別にいいじゃん。

自分を大切にしたっていいじゃん。

長い人生ゆっくり休む時があったっていいじゃん。

 

そして、僕は幸福度の高い国と言われるスウェーデンとフィジーに行ってきました。

表面的な所しかわからないと思いますが、

どちらの国の人たちもせかせか急いでいる感じはしなくてゆったり時間は流れていました。

スウェーデンでは15時ころ若いお父さん2人が子供達と公園で遊んでましたし、

フィジーでは目が合えばニコッとしてくれました。

日本人より心にゆとりがあるように感じられました。

こんなにたくさんの広告などもなかったです。

日本の常識だけで考えたら知らず知らずのうちに、

僕たちは必要のない物や事の為に無駄に働かさせられて、

過剰な便利という言葉に乗せられて無駄なことにお金や時間を奪われて、

疲れて何もできなくなってしまったんだと思います。

ほんとは優しい方なのに時間がなくてイライラしちゃったり、

ちょっと嫌なことがあってついきつく当たってしまったり、

そういうちょっとした事の積み重ねで、

精神障がい者が増えてしまっている原因の1つだと感じます。

仕事を辞めて今僕はこれからの人生を模索しています。

障がいを持っていても社会に順応して生きてくために、

大輔さんや銀之助さんを参考にしていこうと思います。

無理せず自分に合った働き方をして、

長野に移住して、

気の合うパートナーと一緒に、

美味しくご飯を食べて、

楽しく畑をしながら、

大好きなギターを弾いて、

リンゴ音楽祭に出演する夢を叶えるために、

これからの人生を生きていきたいです。

 

最後までお付き合いいただきまして本当にありがとうございました。

 

 

 

最終回 IKEAに挑戦!

この職場に入って色々な経験をしました。

恋愛もさせていただきました。

10年近くも心を閉ざしていたので、

誰かを好きになる気持ちも自分にはあったんだ。

といった発見に嬉しくなったり、

自分の気持ちをうまく表現出来なくてモヤモヤしたり、

やきもちをやいてイライラしてしまったり、

未熟な自分の心と向き合ういいきっかけになったと思います。

結ばれる事は出来ませんでしたが、

青春のような経験をさせて頂きその方には感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございます。

次に挑戦したのはフィジーへ3週間、語学留学に行ってきました。

外資系のIKEAで働くには英語が少ししゃべれたらいいのではないかと思い、

一年前からオンライン英会話を習いました。

そして折角勉強したなら実践したいと思い、

有給休暇をすべて使い上司に無理を言って行かせていただきました。

薬が無くなったらどうしようとか、

障がいで眠れなくなったらどうしようとか、

色々不安はありましたが障害のせいにして、

何かを諦めたくない。

たった一度の人生後悔したくないという想いでした。

留学に行って変わったことは、

今までの常識は世界では違った事と、

もっと自分の気持ちに正直に生きていい、

そして結構何とかなるし大丈夫かもという自信が生まれました。

そして仕事を辞めてIKEAに挑戦することになります。

IKEAはレストラン部門が募集されていました。

飲食は過去10年くらいは経験があったので、

自信をもって履歴書や職務経歴書を書くことが出来ました。

しかし募集要項の勤務時間が朝六時~夜九時までで、

勤務地も少し離れていたのでちょっと不安が残りました。

なぜなら僕は薬を飲まないと夜眠ることが出来ません。

飲まないと頭痛がひどく目がギラギラしてしまいます。

あと薬で寝る時間を調整しているので規則正しい生活をしていないと、

精神が不安定になり睡眠薬を飲まないと眠ることが出来なくなります。

夜九時まで働くのも少し不安がありましたし、

朝は始発に乗らないと通えないので、

少し頑張って勤務時間は朝九時から夜九時までで応募しました。

自分は子供などがいないので、

土日、お盆、正月、ゴールデンウィークなどは出勤することが出来ると伝えました。

しかし、採用担当の方から電話がきて朝六時からはどうしても出勤できないか?

という風に言われましたが出来ない事を伝えると、

一次審査で落ちてしまい、

夢であったIKEAでの就職は叶えることが出来ませんでした。

 

少し残念でしたがここでせっかく体調がよくなってきたのに、

無理をしてまた体調を崩してしまってリハビリ生活にもどるのも嫌でしたし、

自信をもって今自分に出来ることを見つける方がいいのではないか、

という判断で間違いはなかったと思います。

 

以上、「精神障害2級、IKEAで働きたい!!!」の

10年間の日々はこれにて終了します。

たどたどしい文章で読みにくい部分もあったと思いますが、

ここまでお付き合いくださいまして、

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

就職して変わった事

大変だった過去は変えられない、でも思い出はやがて変えられる。

つらい経験も、誰かの勇気に変わる時に報われる。

 

僕が就職したところは、

健常者の上司が一人と障害を持った方々が7人1チームとなって、

倉庫の中で水耕栽培でハーブやミントを育てて収穫しハーブティーを作る仕事です。

雇用形態も障がい者枠の一般就労となりちゃんと社会保険や失業保険が整った環境で、

時給も最低賃金以上頂くことが出来ました。

そして有給休暇もありとても嬉しかったです。

同僚も足が不自由な方で会ったり、

特別養護学校を卒業した少し自分を表現するのが苦手な子、

一般就労でバリバリのサラリーマンだったけど病気になってしまった方など、

20代から50代の色々な方々が集まっていました。

この職場の良かったところは、

障がいに対してかなり理解があり、

病院に行くことで給料は出ませんでしたが病欠がありました。

そして月一回の上司との相談会や、

倉庫を管理している職員さんのサポートがあったり、

B型作業所でお世話になっていた相談員さんと上司を含めた3者面談など、

手厚いサポートがあり安心して働くことが出来ました。

やはり人づきあいが苦手な方などが集まったところだったので、

それなりに気は使いましたが、

自分が障がい者というコンプレックスもなかったですし、

体調を崩してしまった時もある程度は理解してもらえて、

作業は完全マニュアルがあるので間違えたり忘れてしまっても、

それで復習すれば大丈夫でした。

社会に出るための第一歩目で自分を試すにはいい会社でありました。

皆様の地域にもあるかわかりませんが、

こういった仕事も探せばあるよと伝えたいです。

仕事を始めて良かった事はやはり給料が多くなったのと有給休暇があったので旅行に行くことが出来ました。

横浜へ行ったりゆるキャン△聖地巡礼をしたりしてストレスを発散できました。

それと作業所にいた頃は人との交流も出来ませんでしたが、

職場のみんなと忘年会をしたりラインを交換しました。

車を持っている頼りがいのある年上の同僚や、

ゆるキャン△が好きで今までキャンプをしたことがなかった年下の同僚と、

家のそばの川原で一緒にデイキャンプをして遊んだことはいい思い出になりました。

人間が集まった場所なのでトラブルが全くなかった訳ではありませんが、

基本的に職場の皆さんは話せばわかるし、

みんな優しい人たちに恵まれて楽しい時間を過ごすことが出来ました。

7年間続いた長く苦しいリハビリ生活もリカバリーできてとても良かったです。


f:id:tayutao:20250909083508j:image

 

就職活動とB型作業所の卒業

始めは過去の自分と比べてしまったり周りの人の目が気になる。

悔しいしとても苦しいよね。

それはしょうがない変えられない。

でも焦っても仕方ないし、

同じ気持ちの人も沢山いるから、

長い人生いまはゆっくり休んでも大丈夫。

新しい自分が待っているから。

 

就労継続B型では週4日からスタートしました。

午前中は皆さんと一緒に内職をして、

午後はパソコンでワードとエクセルとタイピングをしました。

良かった点はお昼が出たので少し節約が出来たのと、

施設外就労があり職員さんと一緒に工場に行き作業をしたので、

気分転換が出来た事です。

コロナだったため働く人を午前中と午後で分かれて出所したり、

色々なことに制限があり苦労したのを覚えています。

僕は5年くらい作業所に通っていたのですが、

2年目あたりからインテリアコーディネーターの勉強をしていました。

3年かけて要約資格を取る事が出来て、

徐々に出所日数も週5日から6日と増やすことが出来ました。

この辺りから作業所で知り合った方たちと、

仲良くなり他愛のない話が出来たり少し心にゆとりが出来ました。

中にはB型作業所での作業は、

就職しても役に立たないなどという方もおられました。

確かに作業自体は内職ばっかでしたが、

責任を持って何かに取り組む姿勢だったり、

自分の得意なコト、苦手なことが分かったりします。

大勢の人の中でうまくいかないこともありますし、

そういう経験が今後仕事をするために役立ちました。

4年目からは就職に向けての活動を増やしていくことになりました。

こういったことも職員さんと相談しながら、

やっていくことが出来るので安心でした。

ハローワークに行ってみたり、

障がいを持っての仕事探しはなかなか仕事が少ないのが現状です。

または仕事はあっても健常者の方たちと同じことを求められたり、

今の自分ではちょっと厳しいなぁなというのが実感でした。

そこで自分が見つけたのは障害を持った人たちが集まって、

一般雇用として畑仕事をしたり、

ハーブティを作る仕事を見つけることが出来ました。

一般就労するための一歩目には丁度いい仕事だったと思います。

 

面接をするためにスーツを準備しました。

最初はどういうのがいいのか分からないので、

近くのコナカへ行きましたが、

上下セットで2万円以上したのでびっくりしました。

とてもじゃないけど買えない。

知り合いに相談したところ、

ユニクロのスーツが安くていいとの情報を教えてもらいなんとかなりました。

職員さんと相談しながら面接の受け答えの練習をして、

準備が整いいざ就活です。

一社目は緊張してしまい自分でも何を言っているのか忘れてしまいました。

障害についての厳しい質問に答えられず不採用。

少し凹んでしまいましたが気を取り直して二社目に挑戦。

一度失敗した時の答え方も準備して、

一度目よりも緊張しないで落ち着いて面接を受けることが出来ました。

その結果無事に採用されました。

 

これで約7年くらいかけての就労への道も一歩目を進むことが出来ました。

長かったけど諦めずにやり遂げられて良かったです。

 

 

 

 

 

 

コロナの時の過ごし方

生きていてこんな事が起こるなんて思ってもみなかったこと。

外で出歩くことも出来ず、

マスクをしなくてはならなく、

世界中の人々が大変な思いをしたと思います。

作業所は行くことが出来て影響はありましたが、

無事に過ごすことが出来ました。

そこで一律に頂けた10万円給付金、

外に出ることも出来なかったしやることもなかったので、

僕の使い方はユーキャンで資格を取る事に決めました。

でも何の資格がいいかわからなかったので、

あなたに合った資格を調べるアンケートをやり、

インテリアコーディネーターを受講するに決めました。

今までろくに勉強をしたことがなかったので、

自信はなかったのですが1次試験の筆記テストは、

約半年間勉強して無事に合格。

これならいけると思い続く2次試験の実技試験を受けたのですが惨敗。

続く2年目も独学で受けたのですが惨敗。

実技試験は3度まで受けることが出来たので、

3年目は安い通信講座を受けて何とか無事に合格することが出来ました。

この資格を取る事によって北欧のスタイルが好きになり、

このブログの題名でもあるIKEAで働くことを目指して、

作業所でリカバリーを目指して挑戦することになりました。

コロナになって2度目の給付金5万円を頂けることになって、

僕が選んだ行動はGO TO TRAVELで静岡県沼津市に行くことにしました、

下半身が麻痺してしまい動けることが出来なくなり、

足の筋肉が衰えて何処にも行くことが出来ませんでした。

作業所などを通うことになって徐々に歩けるようになり、

この機会に旅行に挑戦してみました。

沼津はアニメ「ラブライブ サンシャイン」の舞台でいわゆる聖地巡礼です。

アニメで頑張っている子たちの姿を見て、

自分も負けずにリハビリをしていました。

 

アニメで見ていた場所が実際に存在し、

彼女たちが練習してきた場所、

息抜きで休んでいた喫茶店などを散策、

沼津市はこのアニメと連動して、

町中にスタンプを設置して集めることが出来たり、

ホテルや商店街などに等身大のパネルやタペストリーが置いてあり、

巡礼者を存分に楽しませてくれました。

 

今年このアニメの主人公である「Aqours」は10年間の活動に終止符を打ち、

僕の青春が終わろうとしています。

彼女たちの成長とともに、

自分も就労移行からB型へ行き、

その後就職をすることが出来て、

一緒に成長を分かち合えたように思います。

コロナを通し色々な事がありましたが、

一つの時代の流れとして心に残ることが出来ました。

 

 

就労継続B型の感想と母親の病気

僕はB型に入って色々なことを感じました。

今まで生活保護福祉施設を通っている方とあまり会う機会がなく、

他の受給者さんがどのように生活しているかわかりませんでした。

普通の人に生活保護だというと偏見とかはなかったですが、

どう接していいのか分からない様子も伺えたし、

ちょっといい印象じゃないのを感じました。

まわりで言われているような方たちも確かにいるし、

自分に自信を持てなくなっていました。

でもこのブログの一番最初で言っていた方たちと会うことによって、

考え方が変わってきました。

障害と言っても人それぞれ違います。

僕みたいに人生の途中でなってしまう人もいれば、

生まれながらに障害を持って生まれてきた方もいます。

どちらにせよ自分がなりたくてなったわけではないと思います。

たまたまこういうことになってしまいました。

でも苦手なことが多いけど、

不平不満を言ってる人たちは少なくて、

工賃などはとても少ないのですが、

少ない工賃で100均で毛糸を買って、

編んだものを作業所に飾ってみんなを和ませてくれたりしました。

トイレをピカピカにしてくれる人もいました。

自分の苦手なことを受け入れていつも笑顔で、

作業所を明るくしてくれる人もいました。

もちろんいろんな人もいますが、

責任を持って出来ることを一生懸命やっている姿は素敵だと思いました。

僕も生活保護でも悪い事じゃないんだなと吹っ切れました。

ここでの経験は今でも心に残っています。

この時期辺りから母親の様子が少し悪くなってきました。

75歳くらいになり認知症を患ってしまったからです、

物忘れがひどくなりケースワーカーさんやヘルパーさんを頼んだり。

病院に姉兄で手分けして連れて行ったり、

乳がんになってしまい手術をしたりました。

母親は群馬県に住んでいて東京の病院で手術するために、

僕の家に2週間くらい一緒に過ごすことがありました。

その時は僕がご飯を用意してあげたりして、

いい思い出になりました。

今まで迷惑を沢山かけてきたので、

少しでも恩が返すことが出来たように思えます。

そして一人で生活することが出来なくなって、

施設にお世話になることになりました。

コロナの時期も重なりあまり面会も出来ず、

少し寂しかったですがそのまま眠るように旅立っていきました。

 

親はいずれ先立っていきます。

生きてる間に少しでも自分で出来ることを増やしたらいいと思います。

洗濯だったり料理とまでは言いませんがご飯の準備だったり、

僕の家はあまりお金がなかったので、

生活保護で一人暮らしでしたが、

病院へ連れて行ったり色々大変なことがあります。

障害で仕事が出来なくても家の事が出来れば何とかなると思います。

就労継続B型に入所

別になりたくてなったんじゃない。

自業自得もあるけれどたまたまそうなってしまっただけ。

恥ずかしい事じゃないし、

まずは自分にできることからやるだけ。

 

就労継続B型とは一般就労をする為に体調を整えたり、

一般就労に慣れるために今まで働いたことがない方が、

作業を通して成長していたり、

細かい作業などは出来るけど自分で判断することが苦手な方、

障害の影響で手先が上手に動かせない方など、

ありとあらゆる方々が集まり、

内職作業やリサイクルショップのお仕事を手伝ったり、

期間限定でお歳暮のはがきを書いたり、

様々な作業に取り組ませていただきました。

僕が通っていた作業所はお昼ごはんも提供してくれたり、

ちょっと離れた方には送迎していたり、

作業所によってサービスが違っているので、

色々調べて体験作業などをして、

自分に合った作業所を探すことをお勧めします。

 

就労移行との違いは就労移行は2年長くて3年しかいられないのに対し、

B型は期限が特になくずっと通えることが出来ます。

僕みたいに就労移行に2年いたけど就労できなかった人や、

逆にB型で調子を上げて行って就労移行に移っていくみたいな感じです。

僕の通っていた作業所は同じ場所でB型も移行もあって、

同じ作業をしている所もあります。

工賃として働いた分のお金はわずかですが出ます。

 

僕の通っていた作業所はそのほかに、

勉強をして時間を過ごしても良かったり、

パソコンを借りることが出来てタイピングの練習や、

エクセルやワードを勉強したりできました。

(工賃は出ませんが。)

なので午前中は作業をして、

午後は秘書検定の資格やMOSの資格を取っていた子もいて、

僕も刺激を受けました。

作業所内ではトラブルを防止するために、

基本的にはLINEなどの交換は禁止でした。

交流なども作業所外ではほぼなかったです。

その代わりに月に1度スタッフの方々が料理を出してくれたり、

カードゲームでみんなと遊んだり、

作業所内でのレクリエーションが充実していたので良かったです。

その他にもハロウィーンパーティーでコスプレをしてくれたり、

クリスマスパーティーではプレゼントとしてテレビをくれたり、

なかなか太っ腹な作業所で楽しかったです。

 

人間同士が集まるところなので、

トラブルが全くなかった訳ではありませんでしたが、

スタッフの方々が色々対応して頂けて、

大きな問題などはなかったと僕は思いました。

 

ただちょっと人より苦手な事があるだけで、

出来ることはちゃんとやる。

協力しながらやっていけば

ちゃんとできるようになる。

僕が最初思っていた所とはだいぶ違っていました。

周りの人たちにも恵まれていたんだと思います。